正教会: 開祖は誰ですか – いつ頃から始まったのですか – どこで始まったのですか
Questions about Eastern Orthodox Church
もしキリスト教が、誰かが「あたま」で考え出した「教え」をもとにした宗教なら、その誰かが「開祖」ということになりますが、キリスト教はそういうものではありません。旧約聖書に伝えられているように、神さまと人とは長い交わりの歴史を持ちます。それは、人間は本来とてもステキなものとして神さまに創造されたのに、神さまに背いたために、そのせっかくのステキさを失ってしまい、惨めな姿でこの世をさまよう歴史、そしてその人間に対する、神さまの愛による怒りや悲しみや赦しの歴史です。
そんな歴史の中で、人間は、神さまの愛に応えようと、神さまの怒りをなだめようと、神さまに赦していただこうと、神さまに礼拝する(祈る)ことを始めました。キリスト教はその時にすでに始まっていたと言ってもいいのです。
ただ、神さまと人間との関係は、イイスス・ハリストス(イエス・キリストの日本正教会での呼び方。日本のキリスト教の教派の採用する呼び方の中で、いちばんもともとのギリシャ語の発音に近いんですよ)が、今日のイスラエルのベツレヘムという町に生まれた時に大きく変わりました。イイススは成長し、三十歳の頃、人々に教えを宣べはじめました。不思議な力でたくさんの病人たちを癒しました。そのころユダヤの地を支配していたローマ帝国の圧制に苦しんでいた民衆は、イイススを「救い主」として歓迎しました。やがてユダヤの宗教的指導者たちは、ますます人気が高くなるイイススによって、自分たちの権威が失われてしまうことを恐れ、ついに、イイススを捕らえ、十字架にかけて殺してしまいました。
埋葬されて三日目に、女のお弟子さんたちがお墓に行くと、そこは空っぽで、天使が「主はよみがえった」と告げました。やがて、お弟子たちの所に復活したイイススが現れました。その時、お弟子さんたちは、イイススが「神の子」、真の「救い主」(ハリストス)であることを、心の底から確信したのです。
イイススは四十日間お弟子さんたちとともに生活を共にし、ついに天使たちにともなわれて、父なる神のもとに昇りました(「昇天」)。しかし、イイススは、お弟子さんたちにあらかじめ約束していたとおり、聖神(「聖霊」の日本正教会訳)を天の父なる神のもとから、地上にお遣わしになりました。この聖神を受けて、お弟子さんたちの内に、どんな困難にも負けない力と知恵と愛があふれました。そしてお弟子さんたちは、「神の子」が、私たち人間のために十字架で死に、なんと三日目に復活したこと、これを信じる者に、罪の赦しと永遠の生命を、言い換えれば「人間のよみがえり」を約束してくださったという「福音」(喜びの知らせ)を、世界中に伝える「使徒」となりました。
その時、今日まで続く「教会」が、ハッキリ目に見えるかたちで存在しはじめたと言っていいでしょう。「教会」はこの使徒の働きを受けついでいます。
この出来事が起きたのは紀元三十年頃といわれています。
キリスト教とは、使徒たちが世界各地に設立した教会が、今日まで宣べ伝え続けている「福音」であり、この福音を信じ「洗礼」を受け教会のメンバーとなった信徒たちが集う「聖体礼儀」(カトリックでは「ミサ」、プロテスタントでは「聖餐式」と呼びます)という礼拝を中心とした祈りの生活であり、そこで教えられる聖書にもとづく教えであり、その教えによって導かれる「愛」を最も大切なものとする生活のあり方です。
このような教会のあり方をしっかりと守り、多くの人々を教会に集め、いつ起きるか神さまだけしか知らない「ハリストスの再臨」*に備えさせること、これがキリスト教(教会)の目的です。
*ハリストスの再臨 ハリストスが再びこの世に来られ、全ての死者を復活させ、その時生きている人々とともに、生前の生き方に従って一人一人を永遠の生命か、永遠の地獄かに裁きます(最後の審判)。
ソース:
http://nagoya-orthodox.com
http://nagoya-orthodox.com/ja/アトスの長老パイシイの教え_どうやって霊的弱点から逃れるか.html
名古屋正教会 NAGOYA ORTHODOX CHURCH