1990PDF
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序文 ― 再版にあたり
この度、仙台の大主教及び東京の副主教セラフィム辻永座下のご英断により、1990年に翻訳して自費出版した「天と地の間」が 30年ぶりに再版される運びとなり、少しでも多くの人々、特に正教徒の目にとまるなら、それは訳者としての大きな喜びであり、誰よりもまず大主教座下に謝意を表します。
お祈りの仕方を教えてください
一日何回祈りをささげるのですか
How to pray and how many times?
教会で日曜日に信徒が集まって行う「聖体礼儀」というお祈り(礼拝)が中心です。ここでは、神さまを讃え、感謝し、世界中の人々の平安を祈り、パンとぶどう酒をささげ、神さまのお力によって、パンとぶどう酒そのままでありながら「ハリストスの体と血」に変化した「聖体血」を、信徒みんなで分かち合って食べます。
家庭でのお祈りも、朝晩食事の前などに行われます。
修道院では、毎日、晩課、晩堂課、夜半課、早課、一時課、三時課、六時課、聖体礼儀、九時課が繰り返されます。
天国や地獄はあるんですか
Is there Heaven or hell?
キリスト教でいう天国を、なにか別世界にある特別な場所と考えてはなりません。天国は「神の国」を言い換えたもので、神さまと人間が直接ふれあい、人々が神さまの愛のもとに集う生き方そのものです。その神の国は、教会という形ですでに始まり、たえず成長していますが、完成するのはイイスス・ハリストスの再臨の時です。その時、世界は全く新しい輝きに満ちたものとして造り替えられ、最後の審判で祝福された人たちは「永遠の生命」のあふれる「神の国」へ入れられます。
地獄も同様です。神さまに背き、人を憎んだり、争ったり、ひとりぼっちの世界に閉じこもったりしている生き方そのものが地獄です。生きている間に、そういう自分勝手な、愛を忘れた生活をしてきた人たちは、最後の審判の時、今度は目に見えるかたちで、神さまが示される「永遠の地獄」に入らなければならなくなります。
どうやって霊的弱点から逃れるか
Why do I always eat too much?
Q&A
Saint Paisios of Mount Athos, Greece (+1994)
――聖山アトスのパイシイとの対話――
――長老様、どうして私はいつも食べ過ぎてしまうのでしょう。
――なぜならそこがお前さんの弱点だからじゃよ。悪魔は守りの弱いところをまず攻めるもので、守りの固い場所には近づかないものだからの。悪魔はまたこうも言う。「もしここを攻め落とすことが出来たら、ほかのところも少しずつ奪い取っていこう」とな。だから弱点はしっかり固める必要があるのじゃよ。
どうやって霊的弱点から逃れるか
Saint Paisios of Mount Athos, Greece (+1994)
Q&A
I tell myself to my every day, “Let’s start praying from tomorrow and am going to change myself.” But everything is as it is
――聖山アトスのパイシイとの対話――
――長老様、私は毎日自分に言い聞かせております、「さあ、明日から祈りを始めて自分を改めよう」。でも何もかもが今までのままです。
キリストはほんとうに生き返ったんですか
Was Jesus Really Resurrected?
ハリストスの復活は仮死状態から蘇生したのとは違います。三日目によみがえったということは、完全に死んでから、ふたたび生命を得たということです。しかも、お弟子さんたちの隠れている部屋に、閉ざされた扉を通じて入って来れるような不思議な「新しい体」をもってよみがえりました。それでも幽霊ではないということを教えるために、お弟子さんたちの前でお魚をむしゃむしゃ食べたり、十字架に釘づけられた傷を見せて、さわって見なさいと命じたりしました。
どうやって霊的弱点から逃れるか
Q&A
Saint Paisios of Mount Athos, Greece (+1994)
Considering my faults,
I do not know what to do
――聖山アトスのパイシイとの対話――
――自分の欠点のことを考えると、どうしたらいいか分からなくなります。
――うろたえたりこわがったりしてはいかん。一番大きな欠点を克服することから始めて、それから一つずつ弱点に打ち勝っていくのじゃ。まずは理屈よりもしっかり腰を据えて、一番深刻で、目につきやすい欠点を滅ぼすことから始めるのがよい。太い根っこが枯れ始めると、周りの細い根っこもじきに枯れていくもので、それと同じ事じゃ。もっとも大きな弱点を滅ぼせば、それといっしょにほかの小さな欠点も絶えてしまうじゃろう。
どうやって霊的弱点から逃れるか
Q&A
Saint Paisios of Mount Athos, Greece (+1994)
――聖山アトスのパイシイとの対話――
――自分の欠点のことを考えると、どうしたらいいか分からなくなります。
――うろたえたりこわがったりしてはいかん。一番大きな欠点を克服することから始めて、それから一つずつ弱点に打ち勝っていくのじゃ。まずは理屈よりもしっかり腰を据えて、一番深刻で、目につきやすい欠点を滅ぼすことから始めるのがよい。太い根っこが枯れ始めると、周りの細い根っこもじきに枯れていくもので、それと同じ事じゃ。もっとも大きな弱点を滅ぼせば、それといっしょにほかの小さな欠点も絶えてしまうじゃろう。
正教会: 開祖は誰ですか – いつ頃から始まったのですか – どこで始まったのですか
Questions about Eastern Orthodox Church
もしキリスト教が、誰かが「あたま」で考え出した「教え」をもとにした宗教なら、その誰かが「開祖」ということになりますが、キリスト教はそういうものではありません。旧約聖書に伝えられているように、神さまと人とは長い交わりの歴史を持ちます。それは、人間は本来とてもステキなものとして神さまに創造されたのに、神さまに背いたために、そのせっかくのステキさを失ってしまい、惨めな姿でこの世をさまよう歴史、そしてその人間に対する、神さまの愛による怒りや悲しみや赦しの歴史です。
どうやって霊的弱点から逃れるか
Q&A
Saint Paisios of Mount Athos, Greece (+1994)
I always try to fight seriously with my own faults, but I will not do anything after all.
Why is that?
――聖山アトスのパイシイとの対話――
――長老様、私はいつも自分の欠点と真剣に戦おうと思っているのですが、結局何もしようとしません。なぜなのでしょう。
――何だってお前さんはすぐに全部解決しようとあせるのかの。欠点というものは高徳と同じで、一つの輪っかになっているのじゃよ。一つの欠点がもう一つと結びついているように、徳も別の徳とつながっていて、まあ、列車の車両みたいなものじゃな。もしお前さんがある弱点と戦って、自分の心の中にその欠点と正反対の徳を育ててみたとしたら、しまいにはお前さんが戦いに勝つじゃろう。そうやって一つの弱点から逃れれば、結局は別の弱点も克服することが出来、それと同時にお前さんの心に徳は増していくばかりなのじゃよ。
聖書の内容を教えてください
Please tell me the contents of the Bible
現在キリスト教が用いている聖書はおよそ二千年近くかかって書き記された様々な文書を寄せ集めたものです。それは、それぞれの時代
の、指導者たち、祭司たち、預言者たち、詩人たち、また新約聖書ではハリストスの使徒たちが、神さまから特別のお力をいただいて書き記しました。神さまが人間に教え伝えたいメッセージを知るための、大変重要な啓示(本来目に見えない神さまが人にご自分を示すこと)です。
天国にはどうやって行くのですか
How do I get to Heaven?
天国にはどうやっていくのか、つまり最後の審判の時に、永遠の生命をいただくためにはどうすればいいのか。簡単です、神さまがお喜びになるような生活をすることです。つまり、それまでの神さまに背いていた生活を悔い改め、ハリストスの救いを信じ、ハリストスの教えた生き方を生きること、つまり「愛」です。仲直りできていない人がいれば赦し、仲直りし、人をいじめたり困らせるのをやめ、反対に、弱い人たちを助け、困っている人たちに親切にし、悲しんでいる人を慰めてあげることです。
キリスト教のことを全く知らないで生涯を送った人でも、同じような愛の生活を送った人は、永遠の生命に入れられるでしょう。
https://abel-tasos-gkiouzelis.blogspot.com/
どうやって霊的弱点から逃れるか
Does thinking of death help spiritual deeds?
Q&A
Saint Paisios of Mount Athos, Greece (+1994)
――聖山アトスのパイシイとの対話――
――死を思うことは霊的行いの助けになりますか。
――非常に助けになるとも。神に望みを託しながら死について考えると、この世の空しさがよく分かる。そして霊的な助けを得ることが出来るのじゃ。だから神の裁きに思いをはせなければならん。わしらが悔い改めなかった罪の責任をいずれ負わなければならないということを忘れてはいかんのじゃよ。「私は何をしているのか?どうして喜びを感じずに生きているのか?今死んだとしたら、私はどうなってしまうのか?私が死と契約を交わしたとでもいうのか?大人も子供も関係なく死んでいるというのに?神がもうすぐご自分のもとに私をお呼びになるとすれば、その時はもう罪を犯すことはないだろう」。
葬儀社とはなんですか?
What is a Funural?
お葬式のしきたりは
臨終が近づいたら司祭を呼び、臨終のお祈りをします。息を引き取ってから三日目に埋葬式を行いますが、その前夜には前夜祭の祈りが行われます。永眠者(死者のことを正教会ではこのように呼びます)は本来土葬されます。これはハリストスの復活のおかげで、人間の死は「終わり」ではなく、主の再臨の時に実現する全死者の復活までの「眠り」にすぎなくなったことを、表すためです。残念ながら、日本では土葬が許される都道府県が少なく、ほとんどの場合やむなく火葬しています。